映画「エアベンダー」から四大元素思想と少林拳の種類をみてみよう

映画「エアベンダー」から四大元素思想と
少林拳の種類をみてみよう

アメリカで人気のテレビアニメ「アバター伝説の少年アンが映画になりました。それも実写版での撮影だったので、役者も太極拳の動きがしっかりできるようにテコンドーの黒帯の役者が抜擢されています。四大元素「気・水・土・火」がモチーフになっているので、四大元素とそれに関連する少林拳や太極拳などの種類もかなり豊富にあるので詳しく見ていきましょう~!予備知識を深めると、もっともっとテレビアニメも映画も楽しめます。

太極拳のルーツといろんな種類の太極拳

日本に伝わった太極拳は「制定拳」です。最初の制定拳として知られているのは、1956年に発表された「簡化太極拳」と呼ばれる楊式太極拳の主な二十四の動作から構成されているものです。太極拳教室で教えられる太極拳はこの太極拳になっています。太極拳を編み出したとされているのは、伝説の不老長寿の仙人「張三豊(ちょうさんぽう)」なので本当に存在したのかどうかも定かではないのが事実ですが、伝説も多い人物なので内家拳の祖として実在したのでは?!と思われています。

楊露禅

楊式太極拳の創始者の楊露禅(ようろぜん)が北京で広めて、武術理論として「太極拳論」が王宗岳(おうそうがく)が重視されたことで「太極拳」と呼ばれるようになったといわれています。楊露禅が生きた時代は中国最後の王朝の清朝時代で1799年から1872年に確かに実在した人物です。

エピソード

生家は貧しい家でしたが、武術が好きで少林拳系の武術を学びました。小説にも登場していますが、楊露禅のエピソードで有名なのが武術を学んだきっかけです。楊露禅が住み込みで働いていたのは、広府鎮で陳家溝の一族・陳徳瑚が営む薬店の「太和堂」でした。

ある時のことです。悪い心を持った商人の一人が口論の末に、店主の陳徳瑚に襲いかかりましたが逆に簡単に倒されてしまいます。この見事な腕前を見た楊露禅は、どうしてもこの武術を習得したくなり、陳徳瑚の紹介で陳長興の元へ修行に出かける。陳長興の住む河北省広平府永年県にある薬局「泰和堂」でボディガードとして働いていました。そこへ楊露禅は奉公人として入りましたが、残念なことに基本的な型すらも教えてもらうことが出来なかったため、垣根から覗き見ることでこっそりと一人で練習していた。その当時の慣例としてあったのは、武術の練習を覗き見たものは、江湖のタブーに触れたということになり、両手を切られるという重罰が待っていました。

ところが陳長興は楊露禅の才能を見抜いて弟子としました。そしてその後、正式に陳長興から陳式太極拳を学んで、のべ18年回数にすれば3回にわたって修業を重ねることになりました。

楊露禅が40歳を過ぎた後に、自身の故郷河北省永年県広府へと戻った後、幼馴染で清の秀才と名高い武禹襄などに「拳法大架式」、別名は「老架108式」を指導しました。楊露禅の子供楊班侯・楊健侯たちは、武禹襄が経営する学校に通って勉学に励みました。

やがて、警察官をしていた武禹襄の兄武汝清に推薦されて楊露禅は北京に赴いて王族たちに武術を指導していきました。ところが楊露禅が指導した王族であったり貴族たちは、贅沢な暮らしをしていたため病気が多く、おまけに忍耐力もない。という典型的な「貴族病」ともいえる怠け者ばかりだったので、武術を指導してもなかなか上達することはありませんでした。

そこで普通なもう王族たちに教えるのはやめた!となりますが、 楊露禅は違いました。動きを改良します。そして当時の長袖で辮髪(べんぱつ)という東部を一部残して刈上げて残りの後ろを三つ編みにして後ろにたらす当時のスタイルでも動きやすいようにと武術を改めました。動きがとてもゆっくり、そして動きも大きくと、柔剛あわせもったこの改良型は「太極小架子」とよばれて、子供や孫の楊澄甫らが改良を重ねて、今日の「楊式太極拳」の雛形になります。この子供でもできるということは、もちろん初心者でも比較的簡単に学ぶことができるということもあって、発展の手助けとなりました。

北京で太極拳を教えていたころのことですが、煤炭で大儲けをした富豪の張という宴会に招かれたことがあります。その宴席の場では他の武術家たちも招かれていましたが、他の武術家たちの体は大きくそしてがっちりした体つきなのに対して、楊露禅は痩せこけた体つきだったので、張は「こいつは弱そうな奴だ。」とばかりに宴席でも末席しか与えませんでしたが、腕比べが始まると瞬く間に体格の大きな武術家たちすべてを倒していきました。この宴席での話を聞きつけた各武派が、楊露禅に挑んできましたが誰一人として勝てなかったので、この頃から楊露禅は「楊無敵」と言われるようになりました。楊露禅が亡くなった後に、二人の息子とその孫の3代にわたって更なる改良が重ねられて、現在の「楊式太極拳」になりました。

制定拳

健康効果として太極拳の良さは古くから知られていましたが、太極拳を取得するのはとても簡単な動きではなかったことから、万人向けと言えるものではありませんでした。そのため中国政府の国家体育運動委員会は、ある計画を始めました。

それは第二次世界大戦の後に、「伝統拳」の持つ健康増進効果はそのままにして、誰にでもある程度簡単に学ぶことのできる新しい太極拳を作ることを計画しました。そこで中国政府は著名な武術家に命じて、「楊式太極拳」をベースにして簡略化した套路を編纂します。そして編纂されたのが1956年に発表された「簡化太極拳」別名:二十四式太極拳です。そして「簡化太極拳」を制定したことが制定拳の始まりです。そして「制定拳」という名前の意味は本来「国家が制定した套路」という意味を持っている言葉になります。

簡化太極拳:二十四式太極拳

楊式太極拳の主要な二十四の動作から構成されています。日本でも一般的な太極拳教室で教えられているのがこの制定拳です。全世界で練習されていて、健康運動として太極拳の普及に大きく貢献しています。また楊式太極拳の入門用の套路として教えられることもあります。

八十八式太極拳

楊露禅が武当派の太極拳を元に編成した「楊家一〇八式」を、楊露禅の孫・楊澄甫がより短く編成した「楊家八十五式」をベースにして、健康体育を目的にして編成されているされている「二十四式太極拳」に続いて「簡化太極拳」が発表された翌年の1957年に発表された制定拳です。二十四式の原理に基づいて「楊式太極拳」の動作を改めた改良版になっています。動作の順序は楊式太極拳大架式に準じていますが、動作原理が異なっています。

四十八式太極拳

1979年に二十四式太極拳の上級套路として発表された太極拳です。楊式太極拳をベースにしていて、陳家、呉式、孫式の動作が取り入れて作られています。上級版だけあって二十四式より難度が高くなっていて、八十八式より表演時間が短く、そして動作も左右対称に整えられていることから、競技会などで頻繁に行われている太極拳です。

太極剣

器械つまり武器の入門用として編纂された太極拳です。楊式太極剣をもとに編纂された『三十二式太極剣』と、競技用套路として陳家、楊式、呉式の動作を組み合わせた『四十二式太極剣:総合太極剣』があります。この太極剣は総合太極拳と並んで、競技会で盛んに行われているものになります。