映画「エアベンダー」から四大元素思想と少林拳の種類をみてみよう

映画「エアベンダー」から四大元素思想と
少林拳の種類をみてみよう

アメリカで人気のテレビアニメ「アバター伝説の少年アンが映画になりました。それも実写版での撮影だったので、役者も太極拳の動きがしっかりできるようにテコンドーの黒帯の役者が抜擢されています。四大元素「気・水・土・火」がモチーフになっているので、四大元素とそれに関連する少林拳や太極拳などの種類もかなり豊富にあるので詳しく見ていきましょう~!予備知識を深めると、もっともっとテレビアニメも映画も楽しめます。

「火の国」が操る少林拳

「エアベンダー」で火の国が操るのが「北派少林拳」です。攻撃的な火の国らしく、防御よりも攻撃。【攻撃は最大の防御】という考えなのでしょう。確かに守りに主軸を置いてしまうと、結果的に負けてしまうというのはスポーツの世界でもいえることなので、攻めて攻めて攻めていけーーっという感じです。個人競技でも、守りに注意を置いてしまうと「隙」が出来てしまいます。それは心に隙が生まれてしまうと、普段なら絶対にしないはずのミスをしてしまったりしてしまいます。攻めに主軸を置いている時と心の持ち方が変わってくるのが不思議です。「火の国」の防御よりも攻撃。その繰り出す技「少林拳法」は実際はどのようなものなのでしょうか?!

少林拳

少林拳が伝承されているのは禅宗が始まった嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)とその近郊で伝承され続いています。嵩山少林寺と日本にある少林寺拳法はまったくちがっていて、日本の少林寺拳法は日本で始まったものです。禅宗の開祖は、日本の宗教(曹洞宗や臨済宗など)に大きな影響を与えた達磨大師です。達磨大師だという学術的な根拠はありませんが、明の時代に嵩山少林寺で武術が練習されていたことは、いくつかの資料に残っていて現代にも知られています。

北派少林拳

少林拳法から大きく分けて3つの武術に分かれています。「嵩山少林寺」「北派少林拳」「南派少林拳」です。中国の北部と南部で行われいる中国武術のため「北派」と「南派」というように分けられていますが、どこで北と南とで分けられているのかというと南北の境界線ともいえるのは「長江」です。長江を境にして「北派」と「南派」というように分けられています。

中国の北側つまり「北部」には、平原を多くなっています。そのため平原という大きな平原を移動するために、跳躍であったり蹴りといった武術が発達したとも言われています。「北派少林拳」の中で一番知られているのは、「北派蟷螂拳:ほくはとうろうけん」です。蟷螂はカマキリのような独自な手形をつかった技が特に象徴的でもありますが、他にも北部の優れた流派に由来するとされている技法や豊富な数の身体の動作があります。その身体動作には、空手のような型に近い動作になっています。身体動作のことを「套路:とうろ」と呼ばれています。

北派蟷螂拳の由来

清の時代の初期に、山東省出身の王朗という人物によって「北派蟷螂拳」が始められたといわれています。始められたという伝説によると、蟷螂拳を始めるまえの王朗は、中国全土を数々の流派の拳を学んびながら巡っていました。いわゆる武者修行です。そしてその途上で中国の各地に点在している優れた武術家たちと戦いました。そして王朗は力自慢腕自慢の武術家たちをことごとく撃破していきました。

そして王朗は中国武術の総本山ともいわれる「嵩山少林寺」に立ち寄った時に、どのように戦ってもある一人の素晴らしい技量の持ち主の僧侶に勝つことが出来なかったため、「どうしてこの僧侶に勝つことはできないのだろう。今までも素晴らしい技量の武術者たちとも戦って勝ててたのに・・」と悶々として悩んだといいます。そして打倒僧侶に燃えてて、ひたすら修行を重ねていたある日のことです。たまたまたカマキリが蝉を捕らえる瞬間を目撃しました。「よし!これだ!!!」と王朗はカマキリの獲物を捕らえる瞬間に強いインスピレーションを得て、王朗は「蟷螂拳」を編み出しました。

「蟷螂拳」の鍛錬をひたすらこなして、自身を得た王朗は再び嵩山少林寺を訪れます。そしてかつて王朗を打ち破った僧侶に戦いを挑みました。「蟷螂拳」で見事に撃破しただけではなく、嵩山少林寺のほかのどの僧侶と戦っても王朗に勝つ者はいませんでした。

『もはやここに敵はなし。』とばかりに、嵩山少林寺を離れた王朗ですがその後、王朗の故郷山東省へ戻り、「螳螂拳」道士に伝えたとされています。この「蟷螂拳」を編み出したといわれる王朗が実際に実在したのか?!また本当にこのような伝説なのか?!といったところは不確定ではあり、現在も確かなことは解明されてはいませんが、「蟷螂拳」の伝説として現在も伝えられています。

蟷螂拳の特徴

「螳螂拳」は「カマキリ」という名前がついているので、「螳螂拳」の使い手は身体の小さくそして細身のタイプが蟷螂拳の達人のようなイメージを思いうかげべて仕舞いますが、王朗の故郷でもある山東省ははるか昔から「山東大漢」と呼ばれるほどに、中国の他の地域に比べて体格に恵まれていた人が多かったので、実際に山東省で蟷螂拳の使い手は体格の良い男性がカマキリのように素早く恵まれた体格で、次々に技を繰り出したとと考えれます。

螳螂拳は全身を肘と認識して、接近戦で短く打つ技術を得意とする拳法になっています。カマキリがセミを捕まえる形の姿は、構えだと見られていますが構えではなく、実用上の技の一種がその形です。相手の腕を巻き込んで、引き回して敵の体制を崩すという形になっています。

螳螂拳では、はひじょうによく使うのが両腕になっています。積極的に両腕を使って、それと同時に身体もどんどん積極的に動かして相手に隙をつくり、攻めて行く拳法です。

山東省の人たちは、もともと恵まれた体格を持ちさらにそこに筋骨を鍛練する螳螂拳を練習すること出、恵まれた体格に更に磨きをかけることになったのではないかと思われています。